林 圭一のFLIP MY MESSAGE Vol.205

牛久沼の思い出。

 先週はとあるきっかけで牛久沼についての話をいたしました。

 私自身、“牛久沼”という固有名詞を口にしたり文字で書いたりするのも本当に久しぶりで、

 何だかとてもなつかしく、郷愁めいたものを感じてしまいました。

 今から25年程前、私はバスオブジャパンやホットリップスというようなクラブに所属し、

 それらが牛久沼でトーナメントを開催していたことから、熱心に牛久通いを続けていました。

 その後所属をJB(当時はJBTA)に移し、牛久沼でのトーナメントが無くなってしまったことから

 何となく足が遠のいてしまっていたのです。


 もう随分前のことで定かな記憶ではありませんが、それは1985年前後のこと、当時所属
 していた
バスオブジャパンの仲間内である新しい釣り場が話題になりました。牛久沼です。

 聞いてみると何やらすこぶる景気がイイ話で、「最後の秘境」だの「日本のフロリダ」だの

 なかなかにファンシーでグッとくるキャッチが飛び交っておりました。

 皆さんもご存じの通り、釣りの世界においてこの手の“ウマイ話”が本当だったためしがなく、
 大概が“ガセ”、“期待外れ”の類いで終わる、というのがオチであります。

 当時の私もこの“牛久案件”については、最初のうちは用心深く話半分で聞いておりました。

 しかし中にはどうしても聞き捨てならない話も混在しており、「沼すべてがアシに覆われた楽園」

 なんて言われると、今まで経験した釣り場とはまったく別物のようで、“ガセ”でもいいから
 行って
みよう、ということになりました。

 果たして牛久に行ってみると、前評判通り、いやそれ以上の楽園が広がっておりました。

 真夏のドピーカン、無風というコンディションにもかかわらず、ほぼ終日バズベイトでの

 入れ食い。釣ったバスは数知れず。プレッシャーも無く、ウブでヘルシーな釣り場というのが

 どれほどの快楽を釣り人に与えてくれるか、身をもって知ることができたのです。


 当時の牛久沼には、私が知る限り使い勝手の良いレンタルボート店は無く、何らかの工夫を

 しないとボートを沼に漕ぎ出すことはできませんでした。まだまだアルミボートなど
 “マイボート”
を簡単に購入できるような時代でもなかったのです。そのような中、私達は
 田舟(たぶね)と呼ばれる
付近の農家が所有する船を借りていました。長さ12フィートくらい、
 結構ポロい木の船で
なるべく水漏れの少なそうなヤツを選んで使っていました。これに4馬力
 程度の船外機と
ハンドコントロールのエレキをつけるのです。

             ↑左側の木造の舟が田舟(たぶね)です。

 この頃のことを思い出すと、改めて楽しかったんだな、と思います。物資も揃わず環境も
 整っていなかったけれど、それを熱意と工夫で何とかする、そういったプロセスも含めて
 楽しかったのだと思います。世の中には物資が溢れ、お金さえ出せば何でも手に入ると
 いうことが、すぐさま私達の幸せに直結するとは限らないのかな?、とメーカーやってる
 分際で考えたりもします。
 
 その後私は農家で借りる田舟では飽き足らなくなり、夢のマイボート(牛久専用艇)獲得へと
 乗り出すのですが、その経韓はまた来週。 

 次回は5月25日アップいたします。