林 圭一のFLIP MY MESSAGE Vol.270

技術者は自分で考える。

現在ケイテックでは何人かの若者男子が正社員として働いています。彼等は一様にバス釣りが

大好きで、そういった好きな分野に係わりながら日々ものづくりに打ち込んでみたい、といった

考えを持っている人達です。これはこれで、私のみならず広く読者の方々にも理解できる考え方

ではあります。


そんな彼等が働くケイテックの工場は、射出成型と呼ばれる製法を駆使しワームを

製造しています。射出成型とは、熱を加えることによって溶かされた樹脂を金型の中に

注入し、それが金型内で冷えて固まることによって製品になる、といった感じの製法です。

まあ、例えてみれば、プリンを家庭で作る時の工程と類似していると言えばいいでしょう。

つまり、射出成型もプリンもまずは材料を加熱し⇒それをカップや金型に注ぎ冷やし⇒

固まったらカップや金型から取り出すといった流れであるからです。


この射出成型という製法は、広く世の中に出回っている製法で、あらゆるプラスチック製品の

加工、製造に用いられています。例えば自動車や家電製品の様々なパーツ、食器や容器、

さらにはプラモデルやペットボトルのふた等、生活に密着した様々なものが射出成型で製造

されています。ちなみにプラノのボックスやプラスチック製のプラグなどにもこの製法が

用いられています。

このように様々に工夫され、広く普及している射出成型という方法ですが、これでワームを

作るというのは、特に日本国内ではそれほど多くの例を見ないようです。これを別の言葉で

言うと、ワームほどの柔らかな製品を射出成型で作るのは、かなり珍しい、ということです。

おそらく、日本国内でワームを製造するというニーズが元来あったわけではなく、現在に

至ってもそれほど大きな市場ではないからだと思われます。

よって射出成型をしている工場ならどこであってもワームを製造できるかというと、そうでも

なく、それゆえワームの射出成型に関するしかるべきノウハウが何らかの文献等一般的な知見

として世の中に存在するということはないのです。


ワームの射出成型に関して、それなりの仕事ができるようになった今だから言えることなのかも

しれませんが、その製造技術は決してハイテクと呼べるようなものではありません。

しかし、いわゆる教科書的なものがない中、射出成型の基礎を踏まえながら、ワームならではの

各論や様々な手法を自力で探り、ひとつの体系として整ったものにしていくことは一朝一夕に

できる仕事でもありません。


そうした技術やそれにちなんだ設備、そして様々な道具類。冒頭でご紹介した若者達も日々

こうしたものに触れながら懸命に働いています。最初のうちは、技術に係わるというよりは

いわゆるマニュアルにちなんだ仕事を中心に反復し、ものづくりの現場が持つ独特の

雰囲気や考え方を感じながら学んでいきます。こうした技術に深く係わらなくても手にできる

仕事というのも工場の中には思いのほかあるもので、これはこれで毎日を忙しく過ごして

いくのに不自由はありません。もちろんこのような仕事も誰かがきちんとやってくれなければ

工場全体としては機能しないわけで、その意味では大事な仕事だと言うことができるでしょう。


さて、これは私個人の考えなのですが、せっかくこのような分野を選び就業したのですから

その誰にも技術を習得する機会が与えられなければなりません。まあ、最後は個人の選択であり

その能力やセンスの問題でもあるのですが、より技術的なファクターを深く理解し、中心的な

立場でものづくりにかかわった方が長年にわたり仕事を深く楽しみながらできるのではないか、

私にはそう思えるのです。


このような考えに基づき、最近私は技術的な事柄をどう教え、伝えていったものか考えるように

なりました。自分でやってみると分かるのですが、技術というものはマニュアル的に整然と

くくれて、「この通りやればうまくいくから。」といったような単純なものではありません。

むしろ製品の出来栄え等今起こっている現実を把握し、それに適した様々な手法を複合的に

用い、その中からさらに新たな理論やセオリーを見出していくといった質のものなのです。

つまり、仕事で何らかの技術を扱うのであれば、基礎レベルは人から教えてもらったとしても

以降は自らの頭で考え、切り開いていくのが当たり前なんだと思います。さもなくば、教えて

もらった領域内をうろつくだけ、あるいは人の真似をするだけのこととなり、単にマニュアルの

上に乗せられているといった類いの話になってしまうでしょう。


何を教えるか。どこまで教えるか。これは私にとってなかなかに悩ましい問題であります。

事細かに教え過ぎれば、本人が自ら考え発見する機会を奪ってしまうのではないか、とも思われ…。

では、「見て覚えろ。」みたいな古い職人の世界に入ったとしても今の時代にはそぐわないような…。

こんなことを考えつつ、とどの詰まり指導する側される側、共に考え切磋琢磨していくことが

肝要なのでしょう。日々のこうした営みを通して誰からも信頼され、ゆえに皆の力を結集できる、

そんな技術者が育ってくれることを願わずにはおれません。


次回は104日アップいたします。