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林 圭一のFLIP MY MESSAGE Vol.95

「働くこと」の意味を考える、続編。

   
   先週、−Vol.94「働くこと」の意味を考える。− と題した一文を当コラムに載せたところ
   中学校で音楽の教鞭をとられているKさんよりその感想をいただきました。
   今週は、これをご紹介しながら、考えを熟させてみたいと思います。
   まずは、Kさんからいただいたメールを要約してご紹介いたします。


   Vol.94を読ませていただいて感じるところがあったのでメールいたします。
   私はバス釣りが大好きな中学校教員です。しかし教職に就くにあたり、「日本の礎を育て
   るために」といったような志をもっていたわけではありません。むしろ当時、「仕方なく」
   教員になったと言った方が良いでしょう。
   教員になる前、私は自分のやりたい仕事を持っていました。
   プロの音楽家としてオーケストラで演奏していたのです。しかし諸般の事情からこの道を
   諦め、自分のやってきたことを生かせる職として教職の道を歩むこととなったのです。
   正直、教師の仕事を始めた時は、「俺がやりたい仕事はこんなことではない」と考えて
   いましたが、今では自分が教えることで生徒が伸びていく過程を心から楽しめるように
   なりました。
   おそらく、「音楽」という共通項があったからこそ「好きでもない仕事」を好きになれた
   のだと思います。これってまるで、仕事に対する林さんの考えと稲盛和夫氏の考えの
   中間を行っている気がします。


   私は今まで、「自分は無類の釣り好きであり、その釣りに関わる仕事ができるのだから
   恵まれている。ならば、この仕事を大切にしていこう。」とだけ考えてきました。
   しかし、Kさんのメールを読むにつけ、稲盛氏の本を読むにつけ、天職とも言える自分の
   居場所を求める“登山ルート”には色々あるものだ、ということに思い至りました。

   確かに、自分の好きなことを貫き天職に至れるのなら、それは理想的なことでしょう。
   しかし、好きなことを核として、仕事をスライドさせながらも山の頂を目指すことだって
   できるのでしょうし、稲盛氏の言うように、「好きでもない仕事」でもまずは目の前の仕事
   にカを尽くし、そこから生まれる成果によってハマっていくパターンだってあるのです。

   その“登山ルート”がどうであれ、私達はその頂を目指し、一歩ずつ歩を進めたいものです。
   さもないと、働くことが単に「生活の糧を得るため」の手段だけになりかねないからです。
   やはり、稲盛氏の言うように、「私達が懸命に働くのは、そのためだけではないはずだ。」
   と私も思いたいのです。

   これは事実として、実際の世の中では、こういった“登山ルート”に足を踏み入れる人と
   なかなか登山口がわからずに往生する人がいます。では、この人達の違いは何なのか?
   私なりの考えを申し上げますと「自分が懸命に働くこと」により「誰かが喜んでくれる」
   という実感を持てるかどうか、
これが分岐点になるのでは、という気がします。
   「誰かの役に立つ」という感覚は、間違いなく私達を励まし、夢中にさせてくれるからです。

   今回の社員募集に際し、私はこういった“登山口”を探し求める何人かの若者と出会いまし
   た。彼らは一様に「好きなことに夢中で取り組みたい。」と言います。大変頼もしく、結構
   なことだと思います。人間誰もが人生を楽しく、有意義に過ごして行きたいと願うのは
   当然の感情だからです。

   たとえそれが「人生楽しく」といった利己の追求から始まったものでも、懸命にさえやって
   いれば、「誰かが喜んでくれる」、「誰かの役に立つ」という感覚にたどり着くはずです。
   そして、それこそが稲盛氏の言う、「人間は自らの心を高めるために働く」といった世界に
   繋がっていくのだろう、そう思えるのです。


   次回は2月19日アップ致します。

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