釣りとはまったく関係ない話ー二宮尊徳の教え。
現在、私はルアーマガジンにコラム「温故知新」の連載をしています。
「古きをたずね、新しきを知る」という意味の立派なタイトルがついている関係上、
なるべく私自身の過去の経験や出来事を踏まえ、今何を考えているか、何が大切だと
思うか、といったことを丁寧に書くようにしています。
今月末発売ルアマガのこのコラムでは、3人の人物を登場させ、私なりの考えを述べて
いるのですが、その内のひとりに二宮尊徳という人が出てまいります。原稿量の関係で
ルアマガ内ではこの人がどういう人で、どんな考えを持っていたのか、そうした詳細に
触れることができませんでしたので、当コラムで補足説明をしよう、というのが今回の
趣旨であります。
【二宮尊徳(1787〜1856)とは。】
幕末を生きた歴史上の偉人。この時代、多くの藩の財政は困窮し、苛酷な年貢の取り立て
に喘ぐ農民は勤労意欲を失っていました。そうした中、尊徳は自身の考えに基づき多くの
藩や町村の財政再建を果たしました。その考え方は、日本が誇る優れた道徳観の源のひと
つとされ、今をもって多くの敬意を集めています。
芝木を背負い読書しながら歩く二宮金次郎像(金次郎は尊徳の幼名)は、あまりにも有名で
日本人の美徳の象徴とされています。
【尊徳の考え方】
当時多くの農民や武士に影響を与え、主に経済面での偉業を成し遂げた、そうした尊徳の
考え方はどのようなものだったのでしょうか。ここでは私なりに、その代表的な考え方を
ご紹介します。
①心田開発
何事を成し遂げるにも、まず本人にやる気を起こさせることが始まりであり、それによっ
て一人ひとりが自立できる基盤を育成することができる。まず人の心に種をまき、人の
道を諭すことから尊徳の再建事業は始まります。人道を尽くし行えば、必ずや報われる
ということを根良く説き実践したと言われています。おそらく、やりようによっては実
現できる目標を設定し、それに向けての強い意欲を喚起したのでしょう。
このことを尊徳は「心田開発」と呼びました。人々の心の中にある田を耕す、いかにも農
業から身を興した尊徳らしいネーミングです。
②積小為大
世間の人は、小事を嫌って大事を望むけれども、本来、大は小を積んだものである。
よって小を積んで大を為すしか方法はない。小さな努力の積み重ねが、やがて大きな
収穫や発展に結びつく、ということを言っています。
このことを尊徳は具体的に、
「日本中に水田は無数といってよいほどある。ところがその田地は、みな一鍬ずつ耕し、
一株ずつ植え、一株ずつ刈り取るものである。一反の田を耕すのに鍬の数は3万回以上、
その稲の株数は1万5千株もあろう。みんな一株ずつ植え、一株ずつ刈り取るのだ。」
と言っています。尊徳が単なる理論家や知識人というだけではなく、いかに行動に重き
を置いた実務者であったかを伺わせる言葉です。日々の暮らしに疲弊し、一鍬ずつの
努力を怠ることが多かった当時の農民に成功の原点を説いたのだと思われます。
③勤倹・分度・推譲
勤倹とは、勤勉に働き倹約を怠らないこと。
分度とはそうした営みの中で、自分の置かれた立場や状況を踏まえ、それに見合った
暮らし方をすること。
そして、勤倹に励み、分度をわきまえていれば、必ずや余財が生まれる、と尊徳は言い
ます。ええ、そうですね、と言いたいところですが、これとて節度をもってしっかり
やるのは簡単ではない…。
さて、ここからが本題。尊徳はこうしてできた蓄財を「推譲せよ!!」と説きます。
「推譲? What is SUlJO?」推譲とはいったい何なのでしょう。
推譲とは、分度を守ることによって生じた蓄財を推し量りながら(よくよく考えながら)
家族や子孫、また社会や将来のために使う(譲る)、という意味です。
「鳥や獣は今日の食物をむさぼるばかりだ。人間もただ目の前の利益をはかるだけなら
鳥や獣と変わらない。人の人たるゆえんは推譲にある。樹木を植えて30年経たなければ
材木にはならない。今日用いる材木は、昔の人が植えたものだとすれば、どうして後世
の人のために植えないでよかろうか。」
尊徳は推し譲れるかどうかに人間と獣の一線がある、とまで言います。確かにここでご紹
介した事柄は、どれも例外なく今の私達の生活に当てはまることだと思います。
「うん、頭では分かる。」しかし、これらを大なり小なり日々の暮らしの中で実践していく
ことは、決して簡単ではないように思えます。
ともあれ、こうした態度で日々を営むことが、過度に他者をあてにしない自主独立の気風
を育て、より豊かに生きていく知恵を獲得する唯一の方法なのかもしれません。
次回は9月22日アップします。