酒蓋(さけぶた)の思い出。(後編)
私が小学生だった昭和40年代、酒蓋を用いメンコのようなルールで競い合って遊ぶ、そんな“酒蓋遊び”が大流行しました。おそらく私と同じような年代の男子諸君には、大なり小なり覚えのある遊びではないかと思います。
先週の前編でも申し上げたことですが、この“酒蓋遊び”はメンコほどテクニカルな部分には富んでおらず、しばらくはそのゲームに夢中になったとしても奥行きがない分、早晩煮詰まって飽きてくるといった質の遊びでありました。こうなると“酒蓋遊び”は、“酒蓋集め”へと姿を変え、その興味は様々な銘柄の酒蓋を収集する、といった方向へと変化していきます。いかに仲間が持っていない希少で価値のある銘柄の酒蓋を手に入れるかが大きなウェイトを占めていくなか、誰もが知っていて、しかし誰もその蓋を持っていない、幻の銘柄がありました。
「雲山」と称するその銘柄は、当時かなり頻繁にテレビでCMを流していたにもかかわらず、誰ひとりとしてその蓋を見た者がいないという、私達の中での伝説のブランドだったのです。
「雲山の酒蓋を大量に手に入れれば、天下取れるに違いない…。」
私は子供なりに、このような野望を抱きました。
「ウワハハハハハッ、ひれ伏せ一い、この雲山大王様の前にひざまずけ一い!!」
私は子供なりに、自分が王様になって雲山の酒蓋を民にバラまいている絵柄を想像しました。
「これは何がなんでも手に入れるしかないよね、言うまでもなく。」
私は子供なりに、かたく心に誓いました。
「しかしどうすれば手に入るのかな…?」
私は子供なりに、考えました。
「そうだ!!」
私は子供なりに、思いつきました。
それからいくらかの時間が流れたある日、私の手元に小さな小包が届きました。
考えてみれば、この時だけではありません。私には子供の頃より今に至るまで、常にその時々でどうしても欲しいもの、どうしても叶えたい何かがあったように思えます。そして、そうしたもののためには、可能な限りの手を尽くし工夫や試行を重ねる、それが私達にとって充実した生活を送るということであり、本当の価値を生み出す原動力ともなるのでしょう。
それまで酒蓋の栓はコルク製というのが常でした。しかしこの頃、栓はコルクからプラスチックへと変わりつつあったのです。当時、私達のなかでは栓はコルクでなければ、いわゆる「酒蓋」とは認識されず、栓がプラスチックである以上、いかに“雲山”であろうともその価値が認められる見込みは低かったのです。そう、私が手にした雲山の蓋はプラスチック栓仕様でありました。
案の定、私と仲間達がつくる“酒蓋市場”において、プラスチック栓の雲山はまったくその価値を評価されませんでした。誠に残念ながら、私は天下も取れず、雲山大王にもなれなかったのです。