私が見たハンドボアードワームの世界。その2
先週は、ハンドポアーというワームの製法がどのようなものか、またその対極にあるマシーンインジェクションという製法はどんな感じのものなのか、その概略についてご紹介いたしました。
さて、今週はと言いますと、昔話をしてみようかなと考えております。
どれくらい昔かと申しますと、まあ大体30年くらい前のことです。その当時の日米それぞれのワーム業界はどのようなものだったか、ハンドポアードワームを中心に据え話を進めてみたいと思います。
その当時、私は主にアメリカの釣り具を日本に輸入し販売する、といったことを生業とする会社に勤務していました。そのようななか、私は業務のひとつとして時々アメリカに赴き、自分の釣りの流儀に照らしながら「これは!」と思える新たなルアーブランドを探し、日本の皆さんに紹介するという仕事をしていました。現地でレンタカーを借り、周辺の釣具店を見てまわる。もし面白そうな製品に出会ったら、それを買い求めパッケージに刷り込まれた住所や電話番号にアクセスする。そういったことを試しながら新たなブランドを開拓していったものです。 これは私自身の釣りスタイルによるところなのでしょうが、やはり熱心に探したのはワーム。当時“ワームを国内で作る”という発想はまだ皆無で、ワームと言えば“アメリカから輸入するものと考えるのが当たり前な時代でした。現在のように国産のワームが幅をきかせ、いくつものブランドが台頭してくるなんてことは想像だにできなかったことでした。
さてそんなこんなでアメリカでのワームブランド発掘に勤しんでいた私。フロリダやテキサスに代表される南部のマーケットには日本に合ったワームは見当たりません。まあ言ってみればデカイリボンテールやリザード、ザリガニが万歳した形の原始的クローワームばっかり。
それに対しアメリカ西海岸カリフォルニアのマーケットは明かに趣を異にしていました。
クリアーウォーターで深いリザーバーが多いカリフォルニアは、他の地域に比べ釣り場の質が日本に似ているせいか日本での釣りにマッチしたワームをより簡単に見つけることができたのです。なかでも私が注目したのはハンドポアードワーム。当時まだ日本にはほとんど紹介されていなかったハンドポアードワームというカテゴリーは、私にとってまさに宝の山。南はサンディエゴから北はクリアーレイクまで駆け巡りながら次々に釣具店をリサーチ。その行程が進むにつれ次第にカリフォルニアのハンドポアー業界の状況が見えてきました。
・ブランドの数がとにかく多い。
あちこちを見てまわった結果、ブランドの数がめちゃくちゃ多いことに気づきました。おそらくカリフォルニア一帯でその数は50を下らないのでは、と思えるほどの数です。これは先週申し上げた通り、ハンドポアーは少ない資金と低い技術力でも始められる、つまり開業ハードルが低いことに起因しています。ブランドによってはある程度の規模(と言っても工員は最大15人ほど)で工場を設営しているところもあれば、昼間は他に生業を持っている個人が夜、趣味と実益を兼ねてひとりでやっているようなところもある、といった具合。
ある町で売られていたブランドが隣の町に行くともう売られていない、なんてことも普通にある世界なのです。そして、うまくないことに品質の高い製品を作っているブランドに限って弱小の個人がやっているという傾向もあり、製品が良いと規模の面でビジネスにならず、規模があると作りが雑で製品としてイマイチ、となかなかに悩ましいものがありました。
あるブランドの品質を私が見染め、「日本にも販売してみないか。」と誘った時のことです。
最初は「夢のようだ。」と喜んでいた相手も後日そのビジネスを辞退してくることがありました。
「大変光栄なお話しではありますが、やはり私にはあなたが期待するだけの量を生産する自信がありません。」というのが辞退の理由でした。このように、様々なブランドが釣具店を賑わしてはいましたが、質、量共に満足いく銘柄には意外と乏しく、有力なブランドはなかなか見つかりませんでした。
・幻滅するほど独創性と開発力に劣る。
こうしてカリフォルニアでのハンドポアー探索をしていた私は、程なくある事実に気づきました。
それは、ほぼすべてのブランドが同じシェイプのワームを作っているということです。
4.5"と6"のストレートワーム、4"パドルテールワーム、ミニシェイカーと呼ばれる4"ストレートそしてリーパー。どうやらシリコン型を自分で作る際のワーム原型(種型)を売っているところがあるらしく、こぞってそこから“有りもの”を買うもんだから、皆で同じ形のワームを作るハメになっていたらしいのです。そしてさらに凄いのは、そんなワームを作っているそれぞれの人達の多くが「我こそがオリジネーターである。」と信じて疑わない態度でいることで、訪ねていった私の前で「どいつもこいつも皆オレの真似をするクソ野郎だ。」と訴えることもしばしばだったことです。
「こいつらどこまで本気で言っているのだろう?」このような事実は日本人である私には理解し難く、当初輝いて見えたハンドボアーの世界も、私にとっては随分色槌せたものになってしまったのでした。しかしそんな中でも一際輝きを放っていたブランドがあったことも事実。
次回、そのあたりの話からご紹介していきたいと思います。