私が見たハンドポアードワームの世界。その3
先週は今から30年程前、アメリカはカリフォルニア州で私が見聞したハンドポアードワームの世界についてご紹介いたしました。まずは、その内容について簡単に再確認してみましょう。
・ハンドボアーは製造設備が小規模かつ単純、また作り方も簡単なため、誰にとっても開業のハードルは低い。よって小規模なブランドが数多く乱立していた。
・その多くは、同じ形のワームを同じような色で製造していた。その独創性や開発力に劣ることに私も失望を禁じ得なかった。
・そのような中、少しでも作りが丁寧で高品質のブランドを探し求めたが、品質の高い製品を作っているブランドに限って弱小の個人がやっているという傾向もあり、製品が良いと規模の面でビジネスにならず、規模があると作りが雑で製品としてイマイチ、となかなかに悩ましいものがあり、ビジネスとしてのブランド選びは難航した。
といったところでしょうか、先週の内容としては。
さて、それでは今週もハンドポアードワームについての話を進めてまいりましょう。
このように悩ましい状況の中、私は2つのハンドポアーブランドと取引の約束を交わし日本へ戻りました。2社とも規模、品質共に“そこそこ”という感じ。まあ、とりあえずハンドポアードワームというものを日本において先駆けて紹介することを優先したわけです。2社と契約を交わしたのはどちらか1社だけだと生産能力に一抹の不安を覚えたからでした。
「へえ一、面白いねえ。」ハンドポアードワームを初めて目の当たりにした当時の釣具店の方々はおおむね皆興味を示し、まずは順調な販売開始となりました。しかし1年が過ぎ2年目に入るころからその売れ行きにも陰りが見えてきました。理由は単純明快。ただのハンドポアードワームは目新しさこそあったものの、日本において多くの釣果を生み出すことができなかったのです。「やはりダメか…。」その当時、当然のことながらこれらハンドポアードワームを自分の釣りにも取り入れていた私にも“意外に釣れないのね”という実感が湧いてきており、全面的に見直しを迫られる状況になっていました。